any vol.77  特集 「マイ・ラスト・ソング」P3~7
久世光彦×浜田真理子×小泉今日子「マイ・ラスト・ソング」

あなたが最後に聴きたい歌は?

死の間際に、1曲だけ聴くことができるとしたら、あなたはどんな歌を選ぶだろうか。
テレビドラマのディレクター、演出家、文筆家として、数多くの名作を遺した故・久世光彦が、晩年まで連載を続けたエッセイ「マイ・ラスト・ソング」。

2006年の久世光彦の急逝をきっかけに誕生したライブ「マイ・ラスト・ソング」には、
シンガーソングライター・浜田真理子がピアノ弾き語りで、
久世光彦と縁の深かった女優・小泉今日子が朗読で出演。
そして、構成・演出を手掛けられるのは、今回お話をお聞きした音楽プロデューサーの佐藤剛さん。
そこには、久世光彦が、こよなく愛し、また涙した歌の数々が、忘れえぬ人々や風景、時代とともに、鮮やかに描き出されています。


INTERVIEW

歌が大好きだった久世さんのことを伝えたい

―そもそも、この企画はどのようにして生まれたのでしょうか?

久世光彦さんはテレビの演出家ではるけれども、テレビだけではなくて、舞台や映画の演出もされている。一方でエッセイストから小説家になって、それぞれできちんと道を極めていった人。僕が子どもの頃テレビで観たドラマ「七人の孫」も久世さんの作品だとは知らず観ていたし、きっとある程度の年齢から上の人にとっては久世さんの作品が原風景だという人もいるはず。久世さんはある意味どこかで憧れていた人だったから、自分が音楽の世界でキャリアを積み重ねていくうちに久世さんへの距離が近づいていき、そろそろお仕事もご一緒できるかなと思っていた矢先にふっといなくなってしまった、そんな喪失感がありました。
そんなとき、僕がプロデュースした中島みゆきのカバーアルバムの内容をもとにしたコンサートが2007年3月31日に大阪であり、浜田真理子さんと小泉今日子さんも参加されていて、その打ち上げで浜田さん、小泉さん、僕の3人で久世さんの話題になったんです。久世さんが亡くなったことに、まだみんなある意味、茫然としていて。小泉さんも久世さんの教え子として、久世さんのために何かできることを考えたいと言われていた。じゃあ、3人ができることを何かしようと。しかも演出家や小説家としての久世さんについては、それぞれの専門の方がなさるだろうから、この3人だったら歌が大好きだった久世さんのことを伝えられるといいなと。きっかけはそこでした。
その場は話だけで終わりましたが、別の企画で世田谷文学館の方とお話をする機会があったので、「久世さんの文学展は考えられないですか?」と訊いてみたんです。テレビって乱暴な世界で作品がどんどん消えていく。演出家やプロデューサーの仕事はなかなか形として残りにくいものだったし、久世さんはエッセイや小説も書かれている。久世さんの全作品をきちんと世の中に知らしめる展覧会をやれないかと。でもすぐには難しいので、久世さんの文章の朗読と音楽を組み合わせた企画を毎年1回ずつ続けていけば、だんだん準備ができて展覧会もやりやすくなるだろうということで、“世田谷パブリックシアター“で開催したのが第1回目の「マイ・ラスト・ソング」です。


浜田真理子さんなら全部歌いこなすことができる

―なぜ浜田さんがピアノ弾き語りで、小泉さんが朗読されるという組み合わせになったのでしょうか?

最初からこの2人の組み合わせしかないと思っていました。久世さんのエッセイ『マイ・ラスト・ソング』には約120くらいの歌がとりあげられていますが、童謡・軍歌・讃美歌・歌謡曲・ポップス・演歌など非常に多岐にわたっているんですね。外国の曲もあるし、それらを一人で歌いこなすのは普通ではちょっと考えられない。だけど、浜田真理子さんならそれができると直感したんです。小泉さんも「浜田さんがいれば全部歌えるね」と言われていた。つまりは浜田さんがいなければこの企画は誰も考えることができなかったんです。小泉さんは小泉さんで「私は久世さんの文学者としての一面を朗読で表現することならできるよね」と言われていた。で、僕がどのエッセイを読んでもらうか、また全体をどうするかを考えれば…。もうこの段階でライブ「マイ・ラスト・ソング」のスタイルはできていたんですよ。


歌手ではなく、女優・小泉今日子として久世さんの世界を表現する

―小泉さんは歌手ではなく、女優として出演されている?

そうです。ご本人も女優になれたのは久世さんのおかげだし、久世さんに育てられたとはっきりおっしゃっていたので、だからあくまで女優としての小泉さんで、ここでは歌手ではないです。


歌について一貫してきちんとある種のメッセージを含めて書き続けた作家はいない

―2008年の1回目からこれまでに世田谷パブリックシアターで3回開催されていますが、今後は全国各地でやっていこうと?

面白い表現だし、他にはない唯一無二な公演で、第1回目を終えたときにすでに、これはすごいなと思いました。世田谷文学館での久世さんの展覧会もすぐに翌年の秋に本決まりになりました。じゃあ展覧会の会期中に「マイ・ラスト・ソング」のライブをやろうということに。でもその時は浜田さんと小泉さんのスケジュールが合わなくて、結局浜田さんが1人で弾き語りで出演されたんです。それはそれで展覧会の中の企画としてはよかったんですが、やはり2人がそろって久世さんの世界を表現するということがベストだと思っていましたので、最初の目標だった展覧会が達成できたからといってこれでやめるのではなくて、お互いのスケジュールが合うところでコツコツやっていきましょうねと。久世さんのことを広く知ってもらい、またこれからの人たちにもこういう方がいたことを伝えていきたいから。久世さんがお書きになった『マイ・ラスト・ソング』を読むと、あんな風に歌について一貫してきちんとある種のメッセージを含めて書き続けた作家はいないと思います。そういうテキストがあって、それを的確に表現できる、久世さんとも縁のあった小泉さんという素晴らしい役者さんがいて、またそれらの音楽をほとんど自然に網羅できていた浜田真理子さんがいるという、この2人でなければ成り立たない、奇跡的なライブなので、基本的にはあまり無理はせず、全国でもやっていけたらいいと思っています。


縁や絆がつながって続いていく「マイ・ラスト・ソング」

―山口では、2008年に展覧会の関連ライブで浜田真理子さんが出演され、それをきっかけに、翌年浜田さんのワンマンライブが実現、さらに今回へとつながっています。山口での開催についてはどう感じていらっしゃいますか?

全国で小さな規模でも、毎年1回でいいから開催して、ちょっとずつ伝わっていけばいいのかなという感じなので、ビジネスでもなく、人と人とのつながりや縁があって、いい時間の流れがあって形になりそうだなと思う時にやっていきたい。大切に人に育ててもらいながらやっていくようなものなんじゃないかと思うので、そういう意味で今回山口が実現できるのは、どこかでいいなと思ってくださって僕たちを呼んでいただける縁や絆のようなものを感じたこと、それを共有できる人たちと開催できることはとても嬉しいです。

―山口ではどのような内容になりますか?

まだ、具体的な内容は考えていませんが、もしかしたら久世さんが戦時中に疎開していた富山の話にふれたエピソードが入るかもしれません。僕としては現在の状況を考えると、戦災・復興についてふれたものが1つくらい入ってもいいなと思っています。だから今までとは一味ちがったものになるのではないかと。

―絶対にここだけはずせないシーンや歌はありますか?

いまのシリーズでいけば「海ゆかば」ですね。好戦歌ととらえられている方もいらっしゃるかもしれませんが、実際は魂を鎮めるための鎮魂歌ですし、あんなに美しいメロディで、言葉もすばらしい歌。久世さんのことを歌で伝えるのであればそこははずせないですね。

―最後に、佐藤さんにとっての“マイ・ラスト・ソング”は?

もうしばらく歌づくりに携わっていくと思うので、僕にとっての“マイ・ラスト・ソング”はこれから作る歌の中にあったら嬉しいなと思っています。

―ありがとうございました。さて、あなたにとっての“マイ・ラスト・ソング”は?


「any 77号(公益財団法人山口市文化振興財団発行)より」